太宰治さんが好き

僕は高校生の時から図書館に行くようになった。高校の図書室もかなり行ったと思う。まぁ、それでも読んだ本の数は大したことはないのだろうけれどね。その頃からだ。夏目漱石や、森鴎外、太宰治や芥川龍之介、壺井栄に星新一、三島由紀夫に向田邦子、三浦しをんなどなど、、。その中でも、太宰治が一番好きで、三浦しをん、星新一と続く。


太宰治で最初に好きになった小説は『斜陽』だ。

でも、僕は自分の性格上、事細かになにがどう好きかを説明出来ない。漠然と好きなわけではなく、言葉にならない、心の動きがあるというか、読んでいると色のイメージがあるというか、世の中が時には茶色く、時には黄色くなるような、そんな感覚だ。僕からすれば、この様な説明が精一杯だ。事細かに説明出来る人は凄いと思うし、小説家は凄いと思う。しかし、太宰治の小説が好きでも、太宰治が生涯何を考えて何に苦悩していたのかはわからないし、きっと想像もつかない。ただ、小説の中には色々な色がある様に見えるのだ。太宰治の小説は言葉に色々な色が、文字通り多彩で、多彩治なのだ。

僕は好きな物の説明は出来ない。広島東洋カープが好きでも、選手の名前は知らない。赤い色が好きなのだ。赤い色なら、高校野球の智辯和歌山や、智辯学園、春日部共栄も好きだ。何故好きなのかはわからないが、赤いユニホームがなんだか好きだ。

エルビンジョーンズが好きだけれど、どういうところが好きかと言われると、説明出来ない。ただ、マックスローチよりは好きだし、マックスローチはむしろ好きではない。理由はよくわからない。人間味のある、歌心のある、優しさのある、柔らかさのある、丸い音が好きで、マックスローチやバディリッチにはそれらを感じないのだ。エルビンジョーンズはものすごくそれらを感じる。でも、、そんな感覚を説明したところで、意味はないのだろう。みんなが知りたいこととは、僕は違うところで感動し、違うところで納得しているのかもしれない。それが僕のドラム道だろう。

抽象的な説明は好きだ

そこに正解があったとしても、それはハッキリしているにもかかわらず、ボンヤリしているし、それが答えを一つにさせない様な感じがするからだ。

人の好みなど、ボンヤリでいい
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