僕にとって最初の先生だった

樋口昌之氏が7月3日に亡くなったという知らせを聞きました。

20歳の頃の自分は、本当に周りもわからず、人の気持ちも知らないで、めちゃくちゃな生き方をしていたし、そんな生き方は30歳過ぎるころまで続いたと思う。プロドラマーになると決めてから、独学をやめて、誰かに見てもらいたいと思いもしたけど、そのきっかけをくれたのは、先に音楽の世界に飛び出した弟だった。

『誰かに見てもらうということは、それている自分の道のりを正してくれるようなものだ』
『自分では気がつかない事も気がつける機会を与えてもらえる事だ』と。

それから僕は専門学校の資料を集めて、その中からまず、ANに行った。
事務の人から、『うちはビンボーな学校だけど、基礎から教えているし、生半可な気持ちでは続かないし、そういう生半可な人には勧めていない』と言われ、この学校に決めたのだ。その時初めてあった先生が樋口昌之氏だった。僕は最初の一年間は頑張っていたけど、それから音楽活動を学校の外でやるようになってからあまり授業に出なくなった。それでもロサンゼルスの学校への推薦状を書いてくれたり、沢山ダメ出しをもらった事は、何年経っても忘れない。
あれから10年以上の月日が流れ、僕は音楽をただひたすら頑張って続けている。昔は、樋口先生が出演した事のあるお店に出れた時、なんだか近づけたような気がしたものだった。新宿ピットイン、高円寺ジロキチ、西荻窪テラ、西荻窪アケタ、そして、昨日の四谷三丁目blue heatなどなど。僕は学校で習ったことを、その学校の中だけで仲間内で育てたくなかったし、音楽は世界中にあるから、もっと外に出たかったから、井の中の蛙にならずにすんだのは、一つには先生が出たことのある店に出るという目標があったからかもしれない。

63歳は若すぎるだろ、先生。


ジャンルは違う。だからなんだ?
ドラムを叩く事は同じだよ。

Jazzをやっている僕は、専門学校からすれば、その中にしかいない人達からすれば蚊帳の外なのだろうけど、そんな事はどうでも良くて、僕はジャンル関係なく、ドラムで音楽が出来るようになるきっかけをくれた樋口先生には感謝しかない。

R.I.P

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