思う事

今のご時世、例えばこれらは全て許されないのかもしれない。見知らぬ10代の女性が1人でいる時に、心配して中年のおじさんが声をかけてあげたとか、路上喫煙禁止の所でタバコを吸っているおじさんに注意するとか、学校で不真面目な生徒に先生が竹刀を持って注意しながら生徒のお尻を叩いたりとか、電車で降りる人が先なのに、先に乗ってくる若い主婦とか。そもそも人に注意して、そのまま殺される事がある世の中。という事はその犯人は聞いてもくれないと言うことか。

大人が子供に声をかけるなんて、当たり前のことすら、犯罪になる世の中。
そもそも体罰って、どこからがそうなの?
愛情があるかないかだよ、、、
え?そんな曖昧な基準で法律作っちゃうの?
相手が嫌がってたらダメなんじゃないかな。
え?叩かれるのって、みんな嫌じゃない?
そんな曖昧な基準でみんな決めてるの?
その曖昧さがわからない人は問題があるよ
え?みんなそんなに頭いいの?

大人はお節介でも子供に声かけてあげましょう
子供は大人がそう言う面倒な人であると認識し、大人は素直な気持ちで接しよう。
しつけとは叱る方と叱られる方のどちらにも嫌な思いの後に優しくあたたかい時間がすぐに訪れるものだ。後からくる優しい時間がなければ、それは体罰だと思う。
我先にと考えるだけの人、自分優先の人は小さな変化や、気づけば幸せになれる事に気づけない人だ。そう言う人は人にされて嬉しい事をまず自分がする事を心がけてください。

いじめとは一生続くものではない。しかし、それは年齢を重ねた人の見方で、今を生きている人には続く悩みだ。解決策は命を断つ事ではなく、ほかに沢山ある。沢山あったから、みんな前に進めたのだ。僕から言わせれば、いじめをしなかった人はいないし、いじめられた事のない人はいない。人間は心のどこかで、誰かを、ザマァ見ろと思い、誰かに助けを求めている。大きさは関係なく、皆同じ気持ちを持っている。何が悪で、何が正かを知っているけれど、誰も説明できないだろう。人を殺すのは、宗教でも禁じ手のはずなのに、戦争は至る所でおこっている。当事者は戦争反対と言うだろうか。その環境で、軍人の正は敵を討つこと以外にあるだろうか。傍観者は悪と言うだろうけれど、もはや、そこですら人間には決めることができない。

悪とは、考えると何かが苦しくなる事だ。正とは、人に勧めたくなるくらい、これ以上ない笑顔が、はち切れんばかりの感情が、湧き上がっている時だ。

その戦争のどこにそんな笑顔がある?そのいじめのどこにそんな笑顔がある?

人間が生まれてきて最初にその笑顔になるのは、親の顔を見たときではないだろうか。
その時の事などとっくに忘れているけれど、僕は美味しいものを食べている時、ドラムを叩いている時、そんな笑顔になる。

正は人それぞれだ。その笑顔が出せる時が、その人の正だと、僕は思っている。

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