25年ぶり

 


大学を中退してから一度顔を出したものの、あれから25年。およそ1年半の大学生活は多くの人に迷惑ばかりかけました。その事で父親にも大きな迷惑をかけました。ドラマーとして、勝手に一貫性を持つためだとか、迷惑をかけた父親のためだとか、自分の気持ちを満足させるために目標をたて、東京でも多くの人に迷惑をかけて、身勝手な音楽家になりました。レコードを聞くようになってからは尚更、ドラムの事ばかりを研究し、もっと上手くなりたい一心で練習し、それがいまだに続いていて、気がつけば、もう46歳になります。

今年は父の墓参りには行きませんでした。そういえば、父が最後に僕に言った言葉は『お前は母親に顔が似ているから嫌いだ』だったのです。まるでシキタリの様に毎年夏の命日に墓参りをしていましたが、人にとって何が必要で何が要らないかは、人それぞれなのです。心の中には葛藤もありましたが、しばらくは行かない事に決めました。

今年、大学時代、バイト先のライブハウスで料理を担当していた、パンチョさんが亡くなったという知らせをもらい、それがきっかけで、大学のサークルのOB会に入り、あっという間に学祭に顔を出したいと思う様になりました。生きているうちに会っておけばよかったという後悔は、もうしたくなかったからです。

25年ぶりの鳥取。ライブハウスのオーナー夫妻と再会し、学生達や地域の方と交流し、なんとも言えない不思議な時間を過ごしました。

そういえば、帰り道、ホテルを出て駅に向かう途中、何故か足を止めました。左を見るとお店のガラス窓にパンチョと書いてあって、あ、ここが新しく始めていたパンチョさんのお店だ。きっと、パンチョさんに連れてきてもらったのかもしれないなぁ。


ありがとうパンチョさん。

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