全ての武器が楽器に変われば良いのに

 ロシアとウクライナの間には僕ら日本人には解らない様々な事柄があるのだろう。隣の家の家族の事情すら理解する事も困難な我が国の人間社会。政治に無関心な人々。日本人のほとんどは今では隣と交流もほとんど無いほど他人に無関心。宗教もさだまらない人が多く、食事も日本食だけでなく色々なものになってぼやけている。個性のある人も少なく、モノマネが大多数を占める。僕もその中の一人であり、それから抜け出そうと周りと距離を置いていたら、僕はいつしか無関心の固まりになった。他人のしていることに興味がない。自分の興味あるものだけに興味がある。それの何が悪い?みんなそうじゃないか。


これが僕だった。


しかし、友人の自殺、病死、急死。僕は数年前から、考え方を変えようと決めた。外に出る。他人を知る。その途端に、処理しきれない情報の渦。世の中はメマグルシイ。

僕は考える。

人に歴史あり。皆多くの悩みがあり、だからこそ多くの笑顔がある。プーチンの悩みはわからない。しかし、彼もきっといい笑顔で笑うのだ。ウクライナの人々も多くの悩みがあり、きっと僕にはわからないけど、かれらもいい笑顔で笑うのだろう。

音楽は他人に笑顔になる力を与えてくれるか、そのきっかけを気づかないくらいささやかに感じさせてくれる。音楽の力は目には見えないけれども、見える時がある。音楽が耳から入ってくるけれども、それはそこに留まらないで、全身に駆け巡ることもあるから、人々は冷たい武器で他人を冷たくするよりも、自分の体温で楽器を奏でて、暖かい影響を与えるべきだ。


もしも核兵器をプーチンが使ってしまったら、彼は地球に生きる全ての生物に対する悪になるだろう。我々が守るべきは、地球である。いくら利権が増えても、命あっての物だろう?その利権は汚い欲でしかないけれども。汚い欲に命をはる動物は人間くらいなものだが、本当は一人もいない方がいい。


どうか、みんなが笑顔になる地球を、みんなで守る事を考えて欲しい。


戦って争うくらいならさ。

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