情緒不安定
例えば悲しみとは、いや、その感情でさえ、個人差がある。悲しみの大きさに個人差があるのはよくわかるのだけれども、僕は人より感受性が高いようで、周りから見たら、え?そこで泣く?みたいな現象がよく起こる
例えば女の子がそこにいて、ぬいぐるみをとても可愛がっていたとする。名前も付けて、いつも一緒にいて。それがある日、いじめっ子達によってぬいぐるみが奪われて、ボロボロにされてしまったとする。首がもげ、足や腕から綿が飛び出て、全身泥だらけのそのぬいぐるみのそばで、その子が泣いている。
この時、僕はその子がかわいそうで泣くのでは無くて、そのぬいぐるみの無残な姿に、悲しみが制御できずに泣く。きっとぬいぐるみはそばにもっといたかっただろうし、首がもげて、手足から綿が出ていて、全身が泥だらけでも、いじめっ子に抵抗することもなく、強い精神力でそこによこたわり、いつもと変わらない笑顔でそこにいるのだから。なんと健気なことか。
(考えただけでも涙が出てくる)
女の子はその後、ぬいぐるみを丁寧に洗って泥をとり、お母さんに頼んで手術をしてもらい、なんなら新しい服を着せてもらって前よりも綿が多くなったのか、少しふっくらとして女の子のもとへ戻ることになるのだ。
(ここで一安心して涙を拭う)
そして、映画のヒーローのように、素敵な笑顔で女の子の心変わりまでの期間を共に過ごすのである。
とまあ、女の子に対する悲しみよりも、最初によぎるのはぬいぐるみだ。
道に虫の死骸がある時、その虫の末路を考えるだけで、涙が出るように、些細と思われていることが、僕の涙腺をゆるめまくる時があり、世間ではそれを情緒不安定と呼ぶ人もいる。
些細な事の積み重ねで、大きな物語が動き出す事はみんな知っているのに。その些細なことに無感情では、なんとも不感症である。
という言い訳なのかもしれない。
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