無題

 幸せとは掴むものではなく、感じるものだ。


僕はそう思っている。掴むものなら、とっくに取りこぼしている。感じるものなら、いつでもチャンスがある。重要なのは、幸せを感じでいる事そのものを、自分で認識できているかだ。

環境も、置かれている状況も皆違う。70億人の人が地球上にいるなら、70億通りだと信じたい。

その中で、もし幸せが掴むものなら、掴めない人がでてくる。幸せが夢や目標なら『掴む』でも良いのかもしれないが、幸せは全ての人に共通してあるものだから、やはり感じるものだ。


そう、例えば空気に似ているのかもしれない。


そこに本当はあるのに、あることに気づかない、あまりに当たり前すぎているのかもしれない、その様な幸せを、認識できているかではないだろうか。幸せに大きさもない。それも空気に似ているのかもしれない。朝の太陽を幸せと感じる人と、高級車を運転する事を幸せと感じている人がいたとして、幸せの感じ方が同じなら、大きさは同じだ。大きさを決めているのは、その人の価値観でしかない。幸せそのものに大きさは無いから自由に決める事ができるのだろう。他者を見て、あの人は私より幸せではないという考えは、本当に意味のない事だ。自分の価値観でものを見るのではなく、空気の様に世界を見る事でみえてくるものが変わるかもしれない。新しい幸せがたくさん見つけられるかもしれない。


幸せはきっといつもそばにある

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