小さきもの

子供の頃は虫をよくおいかけた。小さきものとは、虫の事である。蜻蛉(とんぼ)や蟋蟀(コオロギ)は好きな虫だったし、針のない蜂ライポンは憧れでもあった。子供の頃から嫌いな虫もいた。ゴキブリは今でも苦手だが、蜘蛛は子供の頃は苦手だった。蜘蛛そのものは良いのだが、蜘蛛の巣が苦手だった。草木にホコリが付いているような巣を見るとぶるぶるっと身が震えたものだ。しかし、この歳になると、そうでもなくなり、家グモは可愛がるし、外の蜘蛛にも苦手意識は無くなった。

蜘蛛の巣にも色々あって、とても綺麗に、律儀に作るものもいて、そんな蜘蛛の巣をみると、美術館にでも来たかのように、足を止めて暫くながめたりする。うちの向かいにも、そんな美しい巣を作る蜘蛛がいた。その蜘蛛は大きく、巣も大きく、堂々としていて、その律儀な巣の模様から、きっといい性格の蜘蛛なのだろう、いつも前向きで、周りからも尊敬されるような立派な蜘蛛に違いないと思えたほどだ。

一昨日その蜘蛛の亡骸を見つけた。芸術的な巣も無くなっていて、はっと気づかされた。

世の中には、そうは思わない人もいて、掃除して綺麗にしたのだろうなと。私は蜘蛛の巣が多少ある分には気にもならない性分なので、亡骸をみるや、大変残念だったのだけれど、世の中はいつも二種類以上の考えであふれているから、致し方のない事なのかもしれない。蟻が集っていたその蜘蛛の亡骸を拾い、蟻を払うと、なんとも綺麗な黄色や黒、又は少し青い縞模様の足であること。巣も美しいが、お前はこんなに美しかったのか。そう思ったので、うちの檸檬の木の鉢の土を少し掘って、そっと亡骸を納め、小さな木の棒を立てて墓を作った。

小さきもの

人もまた、同じ。
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