いざ書こうとすると

何も浮かばない。書こうと思っていた事ですら、書く段階でやっぱりいいやとなってしまう。その時思った事、感じた事はその時にしか無いものだけれど、それを残しておきたい程でも無いのかもしれない。

前は、今日はこんな物を食べましたぁとか、こんな事がありましたぁ、などと書いていたけれど、そもそも他人の食事など、僕には興味ないので、自分の食事など人は興味ないだろうから同じ事をするのはやめてしまった。それでも、世の中という物は、こちらが何もしなくなると僕の事など忘れてしまうから、偶に食事のことを載せたりするのだけれど、何とも虚しい。facebookなどに記事があがらなくなると、あの人どうしたのだろう?関わり合うのやめよう、となったり、jazzをやってると、あの人はjazzドラマーだからとくくられ、ポップスをやっていると、jazzをやっている人達からは、あいつは終わったな、などと決めつけられたりする。自分の環境と同じ人達でつるみ、ほかの世界を受け入れない、ほかの世界の良くないところを探して自分達の世界の居心地を良くしようとしている人が、日本には多いと思うのは僕だけかもしれないけれど。世の中と接点を持ちたくないと思うようになったのは、そういう事からだ。他人の物差しという物は、とても歪んでいて、真っ直ぐに線などひけたものじゃあない。自分の事は自分が一番わかっていて、他人の事を気にするのはやめてしまおう。他人は何でも言う。しかしながら、人から多くを学ぶのも事実で、そういう接点はいつも求めている。そういう所で関わるのはとても有意義だと思うし、それが演奏の場でなく、単なる呑み会や、お茶、遊びであってもいい。

まあ、自分らしく生きることを積み重ねることがその人のよい人生なのだと思う。

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