様々な誤解

コロナウィルスが世界中で問題になっている。中国の武漢から始まったというが、それもニュースを見て知った事で、果たして本当に武漢からなのだろうか。感染者が1番多いから、武漢から始まった可能性は高い事がわかるけれども、日本国内でも各地で感染が見られる。クルーズ船は謂わば海上の密室なので、船内の感染は防げなかったのだろうけれども、もしも隔離していなかったら国内にばらまかれていた事になるのではないだろうか。責任問題と言うのは、次の行動を決めれば必ず付き纏う問題なので、責任問題を最初にあげる人はわたしには理解できない。行動を起こす度に、必ずある問題なのだから、まずは見ておくと言うのはどうだろうか。一国のリーダーが決めた、学校の休校もそうだ。机上で責任問題を先に話し合っていては、急を要する時に何も決められない。皆んなで話し合うと言う決め方のデメリットは中々決まらない事であり、責任問題やアレをやったらコレもしなきゃという、まだやっていない段階で先読みしすぎる事だろう。休校にしますと、断言した事で、事態は前に進むし、進みながら問題を話し合うべきだ。また、誰もが直面したことのない事案なのだから、失策だという意見は的外れに思える。何を持って失策なのか?決めた事から新たに問題が発生するのは必然で、数学のように、答えが一つのところに向かうわけではない。決めながらにして、何処かで妥協し、何処かで賛辞があり、何処かで反対されるのだ。そして、様々な情報が出回っている。ネット社会になり、あらゆる雑学を誰もが知れる時代、もはや目新しい物などこの世の中には無いだろう。調べればそこにある物ばかりである。しかし、誰もが知らないウィルスの事はネット社会でも調べられない事案だ。世界中の人が皆同時に話し合っている様に見えて、意見は様々で、結果として効果のない事柄もある。それはデマと言うのではなくて、ただの一つの意見だ。その意見に論理的に説明出来ただけに過ぎない。皆で考えれば、自然と成果の無い意見も出てくるのは当たり前の事。未知の問題なのだから。大切なことは意見をする事である。問題に取り組む事である。誰かの意見に文句をいったり、誰かの意見に乗っかって、結果がダメだと他の意見に飛び乗るのは、まぁ、僕には向かない。ドイツのサッカーの試合中に日本人が追い出された事案があった様だ。これはコロナウィルスを警戒しての判断だろうから、後に誤解とわかり、謝罪しているけれども、こういう誤解は必ずあるし、それをなくす事は出来ないだろう。人間は同種を傷つけない限り、どんな誤解やミスも穏便に対応出来る生き物なのではないだろうか。


余談だが、ネット社会のメリットは、色々な事を知れる事、遠くの友達が出来ること、世界の文化を知れること、隠蔽しようとする一部の人間をいとも簡単に暴く事も出来るし、未知の問題を世界で共有出来る事だろう。

デメリットは何か

そこまで知る必要は無いのでは?と思うことくらいだ。

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