Toshizoプロデュースを観に行きました
今日はToshizoプロデュース第21回公演
『ゲストハウス蒴果』
を観に行きました。この作品は昨年も公演されていて、僕は昨年の公演も観に行きましたので、今回の再演も楽しみにしておりました。蒴果という言葉の通り、というのは前回の時にも感じた感情ですが、その時の感情を再確認できた様に思いました。人はどこかで誰かの事を話しているだろいし、その誰かもまた誰かの事を話しているだろいし、自分が気づかないところで周りの人のお世話になり、自分が気づいているところで周りの人のお世話になり、周りの人が気づかないところで自分がお世話をし、周りの人が気づいているところで自分がお世話をしているのだと思う。そのどれかが足らないところで、心からの会話は無くなってしまうのだろう。人は一人では生きられないという言葉をよく聞くが、それがもし出来たとしても、それは幸せではないのかもしれない。友達や知人というのではない自分の周りの人たちが、自分の知らないどこかで自分を助けている事を、また微力ながらその逆がある事を忘れてはいけないのだろうけれど、僕はどうもその事が苦手であり、それは一生の課題になるのだろうと、今日の公演を観て思いました。
僕は2年程前からその事に向き合う様になりましたが、まだまだ時々忘れている時もあるので、その事を確認できる、その事を魅せてくれるToshizoプロデュースに僕は今後も沢山の期待と愛情を注ぎます。
『ゲストハウス蒴果』
を観に行きました。この作品は昨年も公演されていて、僕は昨年の公演も観に行きましたので、今回の再演も楽しみにしておりました。蒴果という言葉の通り、というのは前回の時にも感じた感情ですが、その時の感情を再確認できた様に思いました。人はどこかで誰かの事を話しているだろいし、その誰かもまた誰かの事を話しているだろいし、自分が気づかないところで周りの人のお世話になり、自分が気づいているところで周りの人のお世話になり、周りの人が気づかないところで自分がお世話をし、周りの人が気づいているところで自分がお世話をしているのだと思う。そのどれかが足らないところで、心からの会話は無くなってしまうのだろう。人は一人では生きられないという言葉をよく聞くが、それがもし出来たとしても、それは幸せではないのかもしれない。友達や知人というのではない自分の周りの人たちが、自分の知らないどこかで自分を助けている事を、また微力ながらその逆がある事を忘れてはいけないのだろうけれど、僕はどうもその事が苦手であり、それは一生の課題になるのだろうと、今日の公演を観て思いました。
僕は2年程前からその事に向き合う様になりましたが、まだまだ時々忘れている時もあるので、その事を確認できる、その事を魅せてくれるToshizoプロデュースに僕は今後も沢山の期待と愛情を注ぎます。
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